元北海道日本ハムファイターズの杉谷拳士氏が、ABEMAのニュース番組『ABEMAエンタメ』の独自企画「Re:MAKE 〜拝啓、あの頃の君へ〜」に出演。プロ入りの舞台裏や中田翔氏との出会い、現役時代に自分らしさを見失った苦悩、そして当時監督を務めていた栗山英樹氏に救われたエピソードを明かした。
同企画は、出演者が人生のターニングポイントとなった過去の写真と向き合い、“あの頃の自分”へ言葉を贈るセルフドキュメント企画。杉谷氏は自身の人生を「全力空回り」と表現し、14年間にわたるプロ野球人生を振り返った。
同企画は、出演者が人生のターニングポイントとなった過去の写真と向き合い、“あの頃の自分”へ言葉を贈るセルフドキュメント企画。杉谷氏は自身の人生を「全力空回り」と表現し、14年間にわたるプロ野球人生を振り返った。
■杉谷拳士、プロテスト“6打数5三振”もまさかのドラフト指名
杉谷氏は高校野球の名門・帝京高校で1年生からショートのレギュラーをつかみ、夏の甲子園にも出場。しかし、高校3年生最後の夏は東京都大会で敗退し、社会人野球への進路を考えていたという。
そんな中、北海道日本ハムファイターズから電話があり、プロテストを受験することになったものの、結果は「6打数5三振」。テスト後にはスカウト陣から「3年後、社会人に行ってからもう一度挑戦をした方がいい」と言われ、社会人野球へ進む準備をしていたと振り返った。
ところが、ドラフト当日、日本ハムから6位指名を受けることに。杉谷氏は「『えっ?』と思った自分がいましたね」と当時の驚きを明かした。
入団後、球団関係者からは「技術もない、体力もない、しかし元気と根性がある」「こんな選手がファイターズでプレーして、どこまでいけるか挑戦してみたくなった」と評価されていたことを知ったという。
杉谷氏は「明るく元気に楽しくやっている姿をファイターズの編成の方が見てくれていた」と語り、「その思いを胸にファイターズのユニフォームを着て14年間何とか気合と根性で、そして元気に頑張りました」とプロ野球人生の原点を振り返った。
そんな中、北海道日本ハムファイターズから電話があり、プロテストを受験することになったものの、結果は「6打数5三振」。テスト後にはスカウト陣から「3年後、社会人に行ってからもう一度挑戦をした方がいい」と言われ、社会人野球へ進む準備をしていたと振り返った。
ところが、ドラフト当日、日本ハムから6位指名を受けることに。杉谷氏は「『えっ?』と思った自分がいましたね」と当時の驚きを明かした。
入団後、球団関係者からは「技術もない、体力もない、しかし元気と根性がある」「こんな選手がファイターズでプレーして、どこまでいけるか挑戦してみたくなった」と評価されていたことを知ったという。
杉谷氏は「明るく元気に楽しくやっている姿をファイターズの編成の方が見てくれていた」と語り、「その思いを胸にファイターズのユニフォームを着て14年間何とか気合と根性で、そして元気に頑張りました」とプロ野球人生の原点を振り返った。
■杉谷拳士、中田翔の才能に衝撃「自分が野球やってるのがバカバカしく思えた」
2008年に日本ハムへ入団した杉谷氏がそこで出会ったのが、1学年上の中田翔氏だった。
杉谷氏は「1歳上に中田翔という名前で震え上がってしまうような怪物の先輩がいて」と切り出し、「中田さんの間近で見たスイング、打球音、打球の飛距離。1スイング目で『持ってるものが違うな』と感じました」と回顧。
さらに、「『世の中には才能を持った選手っているんだな』と思って、自分が野球をやっているのがバカバカしく思えた」と、初めて中田氏のプレーを目の当たりにした際の衝撃を明かした。
その後、中田氏との才能の差を実感した杉谷氏は、「じゃあプロの世界でどう生きていくんだ」と自身の生き残る道を模索するようになったという。
「全部のポジション守れたら1軍でプレーするチャンス増えるな」「走れなきゃいけないな」と考え、さらに「ファイターズには元気があってとってもらっているから『野球を愛しながらプレーしよう』」と決意したと振り返った。
杉谷氏は「中田さんに1年目に会えていなかったら、もしかしたら同じ土俵に立って勝負して、結局その勝負に敗れて、3〜4年でクビになっていた可能性もあった」と告白。
続けて、「1年目で中田さんのプレーを見られたのは、自分を変えるきっかけにもなった」と、“怪物”との出会いが自身のプロ野球人生を大きく変えたことを明かした。
杉谷氏は「1歳上に中田翔という名前で震え上がってしまうような怪物の先輩がいて」と切り出し、「中田さんの間近で見たスイング、打球音、打球の飛距離。1スイング目で『持ってるものが違うな』と感じました」と回顧。
さらに、「『世の中には才能を持った選手っているんだな』と思って、自分が野球をやっているのがバカバカしく思えた」と、初めて中田氏のプレーを目の当たりにした際の衝撃を明かした。
その後、中田氏との才能の差を実感した杉谷氏は、「じゃあプロの世界でどう生きていくんだ」と自身の生き残る道を模索するようになったという。
「全部のポジション守れたら1軍でプレーするチャンス増えるな」「走れなきゃいけないな」と考え、さらに「ファイターズには元気があってとってもらっているから『野球を愛しながらプレーしよう』」と決意したと振り返った。
杉谷氏は「中田さんに1年目に会えていなかったら、もしかしたら同じ土俵に立って勝負して、結局その勝負に敗れて、3〜4年でクビになっていた可能性もあった」と告白。
続けて、「1年目で中田さんのプレーを見られたのは、自分を変えるきっかけにもなった」と、“怪物”との出会いが自身のプロ野球人生を大きく変えたことを明かした。
■杉谷拳士「あいつうるさいぞ」周囲の声に自分らしさを見失った過去を告白
via (C)AbemaTV, Inc.
一方、入団3年目には1軍に定着し、試合に出場できない日もベンチから明るく仲間を鼓舞していた杉谷氏だが、プロ4年目頃になると、その持ち前の“明るさ”を揺るがす出来事があったという。
杉谷氏は「同僚だったり目上の方たちが『あいつうるさいぞ』と言われるようになった」と回顧。
さらに、「お前一人でやってるわけじゃないんだよ」「そんな声出してプレーするんだったらそれはアマチュア」などと言われたことで、「チームに迷惑をかけている」と考えるようになり、「誰にも存在を知られないようにそっとプレーしていた」と、自分らしさを失っていた当時を振り返った。
そんな杉谷氏に声をかけたのが、当時監督を務めていた栗山英樹氏だった。
監督室に呼ばれた杉谷氏は、栗山氏から「けん制はアウトになる。守備はトンネル。バントは失敗する。お前何が残ってんだよ」と厳しい言葉を投げかけられたという。
杉谷氏は「心の中では『めちゃくちゃ監督言うな』と思った」と振り返ったが、栗山氏は続けて「お前元気しかないだろ」「いいんだよ、人のことは。お前野球好きなんだろ」と問いかけた。
杉谷氏が「大好きです」と答えると、栗山氏は「じゃあいいじゃないか。グラウンドで自分が野球好きだったら100%プレーしなさい」「杉谷拳士は杉谷拳士でしょ。拳士らしく前に進みなさい」と背中を押したという。
この言葉を受け、杉谷氏は「人は人、自分は自分」と吹っ切れたといい、「あの時あのタイミングで栗山監督に言葉をもらってなかったら、今の僕は本当にいない」と恩師への感謝を語った。
番組ではこのほか、帝京高校時代の試合体験や、引退を迷っていた際に栗山氏からかけられた言葉、引退試合で新庄剛志監督から贈られた言葉などについても明かしている。
杉谷氏が出演する『ABEMAエンタメ』の「Re:MAKE 〜拝啓、あの頃の君へ〜」は現在もABEMAで配信中である。
杉谷氏は「同僚だったり目上の方たちが『あいつうるさいぞ』と言われるようになった」と回顧。
さらに、「お前一人でやってるわけじゃないんだよ」「そんな声出してプレーするんだったらそれはアマチュア」などと言われたことで、「チームに迷惑をかけている」と考えるようになり、「誰にも存在を知られないようにそっとプレーしていた」と、自分らしさを失っていた当時を振り返った。
そんな杉谷氏に声をかけたのが、当時監督を務めていた栗山英樹氏だった。
監督室に呼ばれた杉谷氏は、栗山氏から「けん制はアウトになる。守備はトンネル。バントは失敗する。お前何が残ってんだよ」と厳しい言葉を投げかけられたという。
杉谷氏は「心の中では『めちゃくちゃ監督言うな』と思った」と振り返ったが、栗山氏は続けて「お前元気しかないだろ」「いいんだよ、人のことは。お前野球好きなんだろ」と問いかけた。
杉谷氏が「大好きです」と答えると、栗山氏は「じゃあいいじゃないか。グラウンドで自分が野球好きだったら100%プレーしなさい」「杉谷拳士は杉谷拳士でしょ。拳士らしく前に進みなさい」と背中を押したという。
この言葉を受け、杉谷氏は「人は人、自分は自分」と吹っ切れたといい、「あの時あのタイミングで栗山監督に言葉をもらってなかったら、今の僕は本当にいない」と恩師への感謝を語った。
番組ではこのほか、帝京高校時代の試合体験や、引退を迷っていた際に栗山氏からかけられた言葉、引退試合で新庄剛志監督から贈られた言葉などについても明かしている。
杉谷氏が出演する『ABEMAエンタメ』の「Re:MAKE 〜拝啓、あの頃の君へ〜」は現在もABEMAで配信中である。