橋下徹氏公式Xより引用 (32924)

via 橋下徹氏公式Xより引用
元大阪府知事で弁護士の橋下徹氏が11日、自身のX(旧ツイッター)を更新。参政党の神谷宗幣代表が街頭演説で日本維新の会を批判したことを受け、前日に続いて改めて反論した。

神谷氏は演説で、「維新は昔からおかしい!また言いましょうか、維新の歴史。維新っていうのはね、2010年に橋下さんたちが作ろうとしたんですよ」と切り出し、「橋下さんが自民党と公明党に推されて知事になった。で、支援してたのは結構、開発会社とかね、建築関係の人たちが応援してましたよ。そういった中で、多分業界からの要請もあったんでしょう。府庁の移転をやりたいと言い出したわけですよ」などと語った。

そのうえで、維新の原点について、「元々は『府庁の移転をしたい』から始まったわけですよ。いいですか皆さん?覚えてください、これ歴史の教科書に載りますからね。府庁の移転をしたいから、そのためにできたストーリーが『ワン大阪』であり『都構想』なんですよね。そっちが先なんですよ」と持論を展開した。

また、神谷氏は、維新が掲げてきた「身を切る改革」についても言及。「当時は『身を切る改革』は無くて。でも『府庁の移転だけじゃ票入らないよね』と言って、『じゃあ他に何言う?』って会議してたわけですよ」とし、「『議員の数とか公務員の数減らすって言ったら票が入る』って言い出したやつがいるんですよ」と振り返った。

さらに神谷氏は、自身が吹田市議会議員だった2010年に大阪府庁を訪れ、橋下氏に対して地域政党ではなく国政政党を作って国ごと変えるべきだと進言したものの、「そんなやる気はない」「国政政党なんか考えてない」と一蹴されたというエピソードを紹介。

そのうえで、「『結局、府庁の移転がしたいだけか。そういう地域の大阪の利権の取り合いをしたいだけか,自民党と。それじゃあ一緒にやってらんねえな』と思ったんで、『入らない』って言ったんですよ」と当時を振り返った。

「そしたらその後、当時橋下さんと作ってた会の名前が『大阪教育維新の会』っていう名前だったから、その名前を『使わせろ』って松井さんから電話がかかってきた。 『嫌だ』って言ったら、『潰すぞ』って言われたから、『やれるもんならやってみてください』って言ったら、潰されたんですよ。それが2010年ね。 以来16年、覚えてますよ。 松井さん『覚えてない』って言ったけどね。 まぁ電話ですから覚えてないでしょうね。でもその時以来ですね、私はずっと、一度も維新を認めていない」と続け、確執の深さを明かした。

この動画を引用した橋下氏は10日、「大嘘つき。維新から放り出された恨みつらみを叫んでいるだけ」と投稿。神谷氏の主張を一蹴していた。

翌11日、橋下氏は改めてXを更新し、「『放り出された』のではなく、『創設できなかった』恨みつらみに変更します」と切り出し、長文で反論をつづった。

橋下氏は、「時系列が無茶苦茶。まず身を切る改革は、2008年、僕が大阪府知事に就任した直後から始めた大阪財政改革=大阪維新プログラムのときからスタート。ここで『維新』の名を使用。大阪府庁移転の話は、大阪維新プログラムに目処がついた後に大阪市が大失敗したベイエリア埋め立て地の再利用=『ニシ』の発展と、大阪府庁舎建て替え問題を解決するために提案。それが大阪万博とIR(統合型リゾート)、関空伊丹空港統合、なにわ筋線に繋がった」と説明。

さらに、「神谷さんから会いたい言われたのは大阪維新プログラムが終わった後、大阪教育改革に乗り出したとき。彼は特段の実績もないのにいきなり『国政政党を作りたい』と言ってきた。僕はまずは大阪改革を実現することが先だと言った」と当時の経緯を明かした。

最後に、「これは国会議員志願者にありがちだけど、いきなり国会議員になりたい、政党をつくりたい、という典型的なパターン。まあそれでも自分で政党を作った点では、創業精神を無視する維新国会議員よりもマシと言えばマシかもしれない」と神谷氏を評した。

その一方で、「ただ維新批判をするのは自由だけど、俺を巻き込むな。当時維新の事情など何も知ることのできない立場だったのだから、そんなことを持ち出さず、真正面から維新を批判しろ」と呼びかけた。

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