亀梨和也が本日3月31日、1998年11月8日、12歳で入所した所属事務所を退所する。ドラマ『3年B組金八先生第5シリーズ』で俳優デビュー、『ごくせん』『野ブタ。をプロデュース』でデビュー前のJr.時代に人気に火がついた。

KAT-TUNは、2001年に音楽番組『ポップジャム(NHK)』で司会を務めていた堂本光一のバックダンサーとして6人組でグループが結成された。先に『修二と彰』としてCD発売が決まった際、デビューはKAT-TUNでと決めていた亀梨は抵抗したが、旧ジャニーズ事務所の創始者に「Youの成功がKAT-TUNの成功につながる」と説得され、2006年のKAT-TUNのメジャーデビューにつなげた。

亀梨のアイドル人生はけして順風満帆なものではなかった。例えば、事務所の三者面談でスタッフに「君はホウキで掃いたらいなくなるJr.だから」と言われ、辞めようと思ったことも。それを引き留めたのは、亀梨の中にスターの資質と魅力があると見抜いていた創始者だった。デビュー後の亀梨がKAT-TUNとして、俳優、スポーツキャスター、昨今はYouTuberとしてマルチに活躍しているのは多くが知るところで、老若男女に支持され知名度は抜群だ。

今は旧事務所の名前もなくなったが、筆者が昭和・平成・令和のジャパニーズポップスを語る上で、旧ジャニーズ事務所が一からつくりあげた男性アイドルのエンタメ文化は先駆的であり先輩後輩のつながりなど、独自の伝統が受け継がれていることは、否定できない事実だと筆者は思う。

本日2025年3月31日、事務所を退所する亀梨だが、事務所の後輩たちに伝え残した功績を思い返し、いくつか記しておきたい。

■DREAM BOYSで挑んだ座長としての命がけの技

2004年1月、帝国劇場で初演されたミュージカル『DREAM BOY』シリーズに出演。その年の4・5月、主演の滝沢秀明の代役として、まだJr.だった亀梨が抜擢された。2005年に正式に主演を引き継ぎ、2006年から『DREAM BOYS』のタイトルで2012年まで200公演以上、主演を務めた。1公演14回ものフライング、巨大な額縁の中を渡り歩くフレームフライング、壁を走るスパイダーフライング、バンジーを採り入れた険勝好運舞空大回転など、毎年難易度の技に取り組んだ。

共演は、関ジャニ∞、A.B.C(A.B.C-Z)、BAD、KANSAI BOYS、屋良朝幸、薮宏太、Kis-My-Ft2ら。Jr.にはSnow Man結成前のメンバー、そして京本大我や森本慎太郎らが子役として参加したことも。そんなたくさんの後輩達が、由緒ある帝国劇場の0番に立つ亀梨の命がけの挑戦を見て、後に続いてきた。

■野球経験を活かしスポーツキャスターとして信頼されるまで

亀梨が、2010年に『Sports&News Going(日テレ系)』でベースボールサポーターに就任して16年目。初期は、取材のアポもなかなかとれず、巨人の取材をさせてもらうまで2~3年かかったという。取材の日はできる限り早く球場に着いて選手に挨拶をし、「主役は選手」として黒子に徹した。野球中継では、どこかの球団に偏らず野球ファン、野球経験者として公平な目線から視聴者が知りたい話を引き出したり、分かりやすくコメントすることで、次第に野球ファンに好意的に受け入れられるようになった。

Goingでは、自分の身体を使って取り組むホームランプロジェクトなどにガチで挑戦し、アイドルや俳優仕事の合間に手に豆ができるまでバットを振ったという。事務所にも野球ファンは多いが、ファン目線ではなく専門的知識を持っていること、身体を張ってプレイするプロジェクトにまで挑戦する存在として希少な存在だ。「スポーツにアイドル(旧ジャニーズ事務所タレント)はいらない」といったマイナスな印象をくつがえす門戸を開いたと言えるだろう。

■事務所のセンターとして存在感を放つ

亀梨はKAT-TUNの絶対的エースとして知られるが、事務所のセンターとしても存在感を放った。特に、旧ジャニーズ事務所の創始者が亡くなった後の音楽番組の追悼企画では、三角形フォルムの先端に立ち、Kis-My-Ft2をはじめ後輩達を引き連れ『Can do! Can go!』を披露した。そのキラキラと輝くオーラと舞台を思わせるキチンと感が両立し、団体のレベルをもひきあげ圧巻だった。

また、KAT-TUNの充電期間中に行ったソロコンでは、バックについた宇宙Sixのコーナーを早めに設定するなど、チャンスを与えた。端っこにいた目黒蓮に「俺ならお前をセンターにする」と言ったのも亀梨で、今も2人で語り合う仲。「亀梨くんの背中を見て育ったんです」と語ったという。

旧ジャニーズライブ史上最大の発明と言われるジュニアマンションを考案したのも亀梨だ。2023年には、井ノ原快彦のオファーを受けて『わっしょいCAMP!in DOME』の構成・演出を担当。300人近いJr.とLINEでつながり、夜中でも相談にのり話をして、一個一個丁寧につくりあげたという。

自分が持っている経験や知識、アイディアを後輩たちに惜しみなく与え、時には厳しく挑む背中を見せ、ぶつかって求めてくる人には誠実に答える亀梨。なあなあで調子よく適当に流せる性格ではないため、一見厳しくクールに見られがちだがその懐は温かく真っすぐなので、長くお付き合いが続き、深いところで信頼し合える人間関係も築いているようだ。

今後も、これまで担当してきた『Sports&News Going(日テレ系)』、ラジオ『亀梨和也のHang out(nack5、オビハピ!』、MAQUIA連載『亀カメラ』のほか、俳優として既に撮影している作品もいくつかあるという。

事務所を辞めても、事務所が大事にしてきた伝統のいい部分は亀梨を通じて、後輩達にも受け継がれていくだろう。これまでの経験と実績をもとに、アイディア力と熱量ある亀梨がこれからどんなエンタメを見せてくれるのか、再出発を温かく見守りたい。

ライター/佐藤ジェニー

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