中居正広が13日、MCを務めるテレビ朝日「中居正広のニュースな会」に生出演。9日に解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血で亡くなったジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川さんへの思いを語った。

番組では冒頭でジャニー喜多川さんの偉大な功績を特集。VTR後にコメントを求められた中居は「公式的なコメントをまだ僕はさしてもらっていなくて…」といい、その理由について「世界野球プレミア12の(サポートキャプテン就任の)リリースが昨日・一昨日だったんですよ。同じ時期でコメントしてしまうと、プレミア12(の話題)がにごってしまうのはよくないし、大事なジャニーさんへのコメントもにごってしまうから、差し控えさして頂いた」と説明した。

続けて中居は「僕は司会進行をやらさせてもらってるので、あまり自分の話しっていうのはしづらいところがあるんですけど…」としつつ、「僕らにとっては(ジャニーさんとの関係は)1対1なんですよね。でもジャニーさんにとっては分母が1で分子が何百っていますんで。その僕は何百分の1にすぎないというか。でも(皆さんの)コメントを見てますと、所属タレントの皆さんは着飾ることなく素直な気持ちでコメントしてるなと感じました」と語った。

共演者から「ジャニーさんから叱られたことはあった?」と聞かれると、中居は「僕は怖かった世代になりますね。プライベートもそうですし、凄く厳しくしてもらいました」と明かした。

中居はジャニーさんから教わったこともたくさんあったといい、「一番最初に教わったのが照明を教えてもらいました。SMAPは昭和のグループだったので光量が強い照明がある時代じゃなかったんですけど、照明の種類を一つずつ教えてくれたんです。ジャニーさんは80番台が好きなんですよ。『YOU、これは80番台で赤から紫がかる番号なんだけど、躍動感のあるときはこの明かりを使ったほうがいい』って」と、SMAP結成当時のエピソードを披露。「その時から教育が始まってたんですね。タレントは自分達のライブの演出家になるので。大成功は細部に宿るじゃないですけど、こうやって照明だとかを積み重ねることによってライブや舞台が成功するので」とジャニーさんの教育の意図を説明した。

また、中居は「トークのスキルを1番、最初に見出してくれたのはジャニーさんだったです。15歳とか16歳のときだったんですけど」と告白。当時、光GENJIのライブの前説をやらされたという中居。「僕は何を喋ればいいのかわからなかったので、ジャニーさんが台本を書いてくれたんですよ。僕は台本を丸暗記してステージに立った」と振り返り、「本当に不思議だったんです。この世界に入ってからマッチや少年隊みたいになりたい!って思ってたのに、何で俺トークばっかさせられるんだろう?って。それは後々気づいたんですけど」と明かした。

中居はさらに、ジャニーさんの細やかな気遣いについても言及。ライブの控室に挨拶に来た関係者が挨拶し終わり退室して扉を締めようとするとき、ジャニーさんは必ず大笑いするんだという。その理由を中居がジャニーさんに聞くと「扉が閉まる瞬間に中がシーンとしてしまうと、自分が悪口を言われているんじゃないか、目配せをされているんじゃないかと考えてしまうから、閉まる瞬間はとにかく繋げなきゃいけない」と教えられたとのこと。「それが今でいう配慮なのかなって。トークのスキルじゃないですけど、こういう人に対する配慮っていうのも自分の中で(教わったこと)。」と明かした。

共演者からジャニーさんに掛けた最後の言葉は何か聞かれると、中居は「何だったんだろう?凄い言ってたので、どこが最後かな。最後が来るっていうのが…今でもちょっと本当に亡くなったのかなっていう」と心境を吐露。ジャニーさんが入院してからお見舞いにも「ちょこちょこ行ってた」という中居。「その日が最後になる、この言葉が最後になるって(思わない)。『バイバイまた来るね』って。『また、しあさって来ますんで』ってのが最後だったのかな。でもみんなそんな思いだったんじゃないかなと思います」と語った。

中居は最後に、「たくさんの人々に愛されるように教育・育成をして世に出してるわけじゃないですか。で、このタイミングになって、皆さんに愛されるように頑張りないっていうジャニーさんが一番愛されているなっていうのは感じましたね」と吐露。続けて、天を指さしながら「本当に言ってあげたいです。『あなたがたくさんの人に愛されるように頑張りないって教育しているんですけども、あなたが一番愛されちゃってるよ』って。これも不思議な感覚だなって」といい、暫し沈黙して目を潤ませた。

関連する記事

関連するキーワード

ライター